2011年5月6日金曜日

カルカッタの匂い


200511月初旬、私はカルカッタの空港に降り立った。およそ8年ぶりのインド再訪だった。現在では新名称のコルカタの方が通りが良いかも知れない。空港の設備もいくぶん小奇麗に変わって見えた。だが空港を一歩出たとたん雲助タクシー運転手がうわっと取り囲んできて、法外な値段を吹っかけられるのは昔とちっとも変わらない。

 私は内心嬉しくてしょうがなかった。ついにインドに帰ってきた。このうざったくも愛すべきインド人と、また丁々発止の戦いを繰り広げなければならない。その感覚は私にとって決して不快なものではなかった。ニヤニヤしながら運転手達をあしらって、私は歩き出した。駐車場と構内道路を突っ切ってまっすぐに歩き続けると国道に出る。そこで市バスをつかまえて中心部に向かうのがいつものコースだった。

 無意識の内に、かつての貧乏旅行で通い慣れた道を忠実にたどっている。そんな自分にまたしてもニヤニヤしながら、私は大きく息を吸いこんだ。国道が近づくにつれて、懐かしいインドの匂いが強まって来る。

安タバコのビリーの匂い。乾燥牛糞を焚く匂い。ドゥープと呼ばれるお香の芳香。様々なスパイスの香り。サモサやプーリーを揚げる油の匂い。チャーイを沸かす湯気の香ばしさ。リクシャ・ワーラーの汗の匂い。女達がつける香水と、男達がかむパーンの匂い。路上にたむろする牛たちが放つ、日本では牧場でしか嗅ぐ事ができない独特の堆肥臭さ。

 それらが渾然一体となったインドの香りとしか言いようのない空気に包み込まれた瞬間、いつも私は『帰ってきた!』と強く思うのだ。そして、この感慨をどこよりも強く感じるのが、私にとってはカルカッタだった。

 テレビでカラリパヤットの番組を見てから、およそ2年が過ぎていた。この間、不思議な事にインド武術を紹介する番組がいくつか間をおいて続いた。だが、私にインド再訪を決心させたのは、アジアの武術系エッセイストである伊藤武氏が書いた『ヴェールを脱いだインド武術』という一冊の本だった。

 その中で氏は、カラリパヤットについて歴史から思想から実技に至るまで微に入り細に渡って語りつくしている。いわく世界最古の武術。ヨーガと共通する身体観。弓の科学ダヌル・ヴェーダ。そして中でも私が注目したのが、禅の開祖ボーディ・ダルマ(菩提達磨)の逸話だった。


 西暦400年前後、現タミルナードゥ州のカンチープラムにパッラヴァ朝の第三王子として生まれた達磨は、将来の後継を期待され、帝王学の一環として徹底的に武術を仕込まれ達人となる。けれど長じるにつれて宗教的傾向を深め、ついに仏教僧侶のもとで出家し、厳しい修行の末に優れた禅のマスターとして知られる様になる。

 晩年になって彼は請われて中国に渡り、嵩山少林寺に上山し面壁9年の伝説を残す。この時、その厳しい修行に弟子達が次々と落伍していくのを見て、体力と精神力をつける為、彼らにインド武術に由来するエクササイズを伝授した。これが今日の少林武術の元となったのだと言う。今でこそ少林寺は拳法で有名だが、本来の表芸は棍法、つまり棒術だったらしい。そういえば少林寺の映画の中で、棒を華麗に旋回させる技を見た記憶がある。ひょっとすると、それは達磨がインドから伝えた転法輪の棒術ではなかったのか?

転法輪。それは仏教における最も重要なイデアのひとつだ。

長い苦行の末にブッダガヤにたどり着き、そこで中道に気づいたゴウタマ・シッダールタは苦行を捨て、悟りを開くまでは立ち上がるまいと決意して、菩提樹の下で禅定に入った。そして嵐のような内面的なプロセスを乗り越えて、ついに明けの明星の下、ブッダ(目覚めた人)となる。

その後彼は、多くの修行者が集まるバラナシの北サールナートの地で、初めてその覚りの内容を修行者に向かって説き明かした。これを初転法輪(ダルマ・チャクラ・プラヴァルタナ)と言う。ブッダによって初めて、法の車輪が転じられたのだ。
以来、法輪(ダルマ・チャクラ)のシンボルはブッダ自身であると同時に仏法をも象徴するデザインとして、全ての仏教徒にとって聖別された印となった。

かつてインドを放浪しながら仏教について学んでいた頃、私はサールナートのダルマ・チャクラ・ヴィハーラ(法輪精舎)という日本寺で多くの時間を過ごしていた。法輪の形とそれにまつわるエピソードは、私の心に印象深く刻み込まれていたのだ。だからこそテレビで回転技を見た瞬間、転法輪のイメージが閃いたのかも知れない。

 私の中で曖昧だったインド武術のイメージが伊藤氏の本によって結晶化し、同時にそれが仏教ともシンクロした時、私はインド再訪を決意していた。そして切りの良いところで仕事も辞め、満を持してカルカッタに乗り込んだのだった。

 かくして、市バスと地下鉄を乗り継いで無事に安宿街のサダル・ストリートに落ち着いた私は、かつてなじんだ土地、お世話になった人たちを訪ねつつ、パキスタンと国境を接した最初の目的地、ラジャスタン州へと向かったのだ。

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