2011年7月1日金曜日

ヴィシュヌ神の起源


ナットドワラやプーリーではクリシュナとして祀られ、世界の維持を司るというヴィシュヌ神。それは色が黒く、本の手にそれぞれ棍棒(ガダー、もしくはダンダ)とほら貝(シャンク)と車輪(スダルシャン・チャクラ)と蓮華(パドマ)を持ち、ガルーダという神的鷹に乗り、ヴァイクンタという天上の国にラクシュミ女神を伴侶として住まうという。そして、悪が栄え世の秩序が乱れた時にアヴァターラ(化身)の姿をとって降臨するや、スダルシャン・チャクラを投じて悪を滅ぼすのだ。

左手にチャクラを持ちヨーガ・ナラヤナの瞑想ポーズをとるヴィシュヌ神

ヴィシュヌの名前が最初に現れるのは、インド・ヨーロッパ語で書かれた最古の文献といわれるリグ・ヴェーダだ。インド・アーリア人による神々への賛歌を集めたこの聖典は、紀元前1500年から紀元前1200年頃にかけて成立したと言われている。

その中でヴィシュヌは、天と空と地の三界を歩でまたぐ闊歩の神として、あるいは広く世界の全てに遍く浸透し、天と地を支える神として描かれている。この彼の歩は日の出と南中と日没を象徴し、本来は地上の全てに満遍なく降り注ぐ、太陽の光照作用を神格化したものだとされる。それは太陽の様に地上にあまねく光をもたらし、生命の維持を支える恵みの神であった。

闊歩するヴィシュヌ神のトリヴィクラマ

リグ・ヴェーダの一節には、『あたかも回転する車輪のように、彼(ヴィシュヌ)はその90頭の競い合う駿馬を駆り立て・・・(Rig Veda 155.6』という記述がある。これは太陽が地球の周りを回っていく様子が、車輪の回転に例えられたのだろう。そして、太陽が光を放つ様子は、車輪の中心からスポークが放射状に展開する形とも重なってくる。この辺りに車輪がヴィシュヌの神器として取り入れられた背景があるのかも知れない。

リグ・ヴェーダには太陽神スリヤに捧げられた賛歌も存在し、彼は7頭の黄金に輝く神馬に引かれた、天空のチャリオット(ラタ戦車)に乗った姿として描かれていた。このスリヤ像こそがコナーラクの太陽寺院のモデルになったのだ。日輪と車輪の相似性から、何故太陽神スリヤが巨大な車輪によって象徴されるかも理解できるだろう。リグ・ヴェーダのスリヤ観は現代のヒンドゥ教においても忠実に踏襲されていて、最も姿かたちを変えずに信仰され続けている神のひとつだった。

7頭の馬に牽かれたスリヤの戦車

ここで私の注意を引いたのが、ヴィシュヌのパートナーとしても描かれたインドラ神だ。彼はリグ・ヴェーダの中では最も多くの賛歌を捧げられた軍神で、ある意味最高神格とも言える存在として人々から崇められていた(インドラは後に仏教に取り入れられて帝釈天となり日本にも伝わっている)。



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