2011年7月11日月曜日

聖別する結界としてのチャクラ・デザイン


車輪(チャクラ)と日輪(スリヤ・チャクラ)とこの蓮の華輪(ロータス・チャクラ)を称して、インド・チャクラ・デザインの三位一体と私は呼んでいるのだが、その名の通り、この三つが重なり合いつつ、その後のインド宗教美術界を統一していく事となった。

それは、ひとつには瞑想オブジェクトとしての機能を担っていたとも言う。元々中心から放射状に展開するデザインは、根源である神(原初には太陽)から世界のすべてが展開する摂理を表していた。それが瞑想時には放射状のデザインを逆にたどって、日常に拡散する人間の心を中心である神へと集中させていく。チャクラ・デザインは、中心から放射される神の恩寵と、神という中心を求めて集中する信仰者(瞑想者)の心を、二つながらに象徴する形でもあったのだ。

私達にも身近な仏像の光背を見てみよう。後光とも呼ばれるように中心から光りが放射しているデザインは、車輪と日輪が融合した典型的なモチーフと言える。10世紀前後のタミルのブロンズ神像では、光背は多くの場合完全な車輪の形をしている。日本では法隆寺の毘沙門天像なども車輪を背負っている。神仏は聖なる車輪の威光を文字通り背負っているのだ。また、グプタ朝以降のペインティングや石像の場合、光背にも花柄模様を配して、華輪のデザインが融合するケースが多く見られる。そして蓮華座と呼ばれる神仏が坐る台座。これは蓮華の華輪が写実的に立体化したと見て間違いないだろう。

インドでは、宗教宗派を問わず、寺院の天井に巨大な華輪のデザインが描かれることが多い。これは車輪と華輪が、高貴な人々や神仏の頭上に差し掛けるチャトラ(傘蓋)と重なり合ってできた聖なる印だと私は思う。よく見ればチャトラも同じように、中心から放射状に展開するチャクラ・デザインそのものに他ならない。

ガネーシャと天井の華輪

サンチーの第二ストゥーパを丸く囲った欄楯に見られるように、華輪のデザインには結界としての意味合いが強い。おそらく蓮華座の華輪とチャトラの華輪によって上下をはさむ事でその空間を聖別し、天界から神仏のスピリットを招来する意味合いがあったのだろう。

私はインド各地を旅し、多くの寺院を訪ね、この結界説を確認している。寺院の門扉の上がり框や梁の下面に、両サイドの柱に、そして神殿の床や天井に、列柱のいたるところに、さらに神室の前面に、入り口のフレームに、さらに鎮座する神像の頭上や足元に、およそ寺院内部で何か仕切りとなる場所には、必ずこの華輪(もしくは車輪)のデザインがほどこされていたのだ。ご本尊である神像さえも、華輪デザインのアクセサリーでこてこてに飾り立てられる事が多い。この様な華輪の結界は、ジャイナ教やシーク教など全てのインド教において共有されている事が分かっている。

ゴプラムの華輪

そしてこの華輪のデザインは、サタヴァハナ朝によってアンドラ・プラデシュ州のアマラヴァティのストゥーパにおいて更なる発展を遂げる。私はその遺物をアマラヴァティとチェンナイの州立博物館で見ることができた。そこでは巨大な蓮の華輪が至る所に彫り込まれ、車輪と共にブッダの聖性を印象深く演出していた。

アマラヴァティの華輪

当時、現在のマディア・プラデシュ州からマハラシュトラ州、アンドラ・プラデシュ州に至る広大な領域を支配していたサタヴァハナ朝は、アショカ王によって宣揚された仏教とチャクラ意識を、北インドから南インドへと手渡していく重要な働きをしたと言えるだろう。そして、この華輪を前面に押し出した三位一体のチャクラ意識は、のちに純粋なドラヴィダ世界のタミル地方において、絢爛たる吉祥文様として文字通り花開くことになる。

アショカのマウリア朝から中部デカンのサタヴァハナ朝を経てタミルナードゥへ。このチャクラ意識がたどったと同じルートを、三位一体のチャクラ意識と合い携えて、棒術の回転技も北から南へと伝播して行ったと私は考えている。時代的にも、タミル武術の揺籃であり、シランバムの起源ともなったサンガム時代とピッタリと重なりあっている。回転技がチャクラ意識を象徴する技であるならば、それはチャクラ意識の変遷に関わらず、常に影のように一心同体の文化装置として共に伝播していったと考えるのが自然だろう。

インドに発した華輪の文化は、遠く日本にまで伝わっている。日本の皇室の象徴である菊の御紋を思い出して見ると、見事に16枚花弁の華輪のデザインをしている事に気付くだろう。それは見方を変えれば16本スポークの車輪とも重なる。私はインドを隈なく旅する中で、この菊の御紋と酷似した華輪のデザインに何度も遭遇している。日本の皇室といえば、仏教が大陸から伝来して以来、一貫してその外護者としての中心的な役割を担ってきた。これは私の仮説なのだが、菊の御紋はブッダの法輪と聖なる華輪をベースにしている可能性が高い。

菊の御紋

アショカ王に関しては、阿育王の名前で漢訳の仏典にも多く取り上げられている。インド史上最も偉大な仏法王であるアショカの治績になぞらえて、瑞穂の国の転輪聖王たらんと発願した古代の天皇が、国土の繁栄を祈念し、菊の形に重ねてダルマ・チャクラを掲げて来たのではないだろうか。

法隆寺の五重塔(ストゥーパ)を建立し、冠位十二階や十七条憲法を制定した聖徳太子の業績などにも、自らをアショカ大王に見立てて理想の国造りを目指した強い自負心が、現れている気がしてならない。彼によって建立された大阪四天王寺は、病者のための施療院や施薬院と老人のための悲田院を備えており、その精神はアショカ王の福祉政策をほうふつとさせる。さらに極楽門と呼ばれる西大門には、回転する法輪が象徴的に設置されているのだ。



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