2011年8月25日木曜日

土壇場の暗転


 2008年3月末、私はチベット亡命政府が拠点を置く北インドのダラムシャラーを訪ねた。この町はダライラマが住まうチベット仏教の聖地であり、インドのタントラ仏教が現代にまで生き生きと伝えられている。そこで私は、タンカと呼ばれる仏画の中に、溢れんばかりのチャクラのイメージを発見して驚く事になった。

時の車輪を意味するカーラ・チャクラ。六道輪廻を表す生命の車輪。そこに描かれた曼荼羅のほとんどが、チャクラのデザインをベースにしていたのだ。それは曼荼羅にとどまらない。明らかに車輪を連想させる姿をした無限の慈悲を表す千手観音のモチーフや、男性原理と女性原理が融合する六芒星のチャクラまでそこには存在した。それはタントラ思想を表わす優れた瞑想オブジェクトとして、千年の時を超えて継承されてきたのだ。

カーラ・チャクラ

生命の車輪(六道輪廻図)

千手観音

六芒星の曼荼羅

 そして、チベット仏教に特有な男女交合の歓喜仏を見たとき、私は軽い衝撃を覚えた。この本来の仏教では有り得ない造形は、男女の菩薩が蓮華坐を組んだ状態で性交する姿を表し、陰陽の原理が対立しつつ融合するタントラ思想を具象化している。それを見た瞬間、私の中でひとつのイメージがスパークしたのだ。

 両足を深く重ねた蓮華坐の坐相は、両膝を底辺として尾てい骨を頂点とする三角形を形作って安定している。これが最も完成された坐法と言われる理由なのだが、男女の菩薩が蓮華坐を組んで向き合って交合する姿を真上から見れば、下半身によって作られた二つの三角形が互い違いに重なり合って、それは見事に六芒星の形を現している事に気付く。それは肉体によって立体的に描かれたヤントラ(曼荼羅)だったのだ。

チベット・タンカの世界。それはインド世界のチャクラ意識とデヴィ・シャクティが、ヒマラヤの高峰を越えて遥かチベット高原にまで伝わった、生き証人だと言えるだろう。

男女交合の歓喜仏

 ダラムシャラーでの予想以上の成果に満足しつつ、私は首都デリーへと移動した。ほとんど全ての取材を終え、後は寝台エクスプレスに乗ってカルカッタへ向かい、一路日本へと帰るだけとなっていた。

 私の頭の中ではすでにここまでの原稿が細部に至るまでイメージされていた。その為のデータとして今回撮影した写真は、一万枚を超えるファイルとしてハード・ディスクに保存されている。後は日本に帰って一気に原稿を書き上げるだけだった。


 足かけ三年にわたる取材。そこで出会った様々な武術とそれを担う人々。さらに棒術の回転技をきっかけに『発見』したインドのチャクラ意識。その探求へとのめりこんでいった鮮烈なプロセス。長い長い探求と放浪の日々、その全てが深い感慨と共に思い出されるのだった。

ある種の達成感と虚脱感が交錯する中、恐らくは私の心は平常心を失っていたのかもしれない。2008年4月4日、ニュー・デリー駅でカルカッタへと向かう列車に乗った私は、そこでパスポートや現金、カメラやPCなどの貴重品と共に、全ての写真データを盗まれてしまったのだ。

その手口は旅なれた私にとっては極めて初歩的かつ単純なトリックだった。

インドの二等寝台車は三段になっている。下段の寝台は昼間は三人分の座席となり、上段の寝台は荷物置き場となっている。そして昼間は下段の背もたれになっている中段を、夜になると寝台として起こして固定し、三段寝台が完成する。

乗車した私は上段の自分の寝台を確認し、全ての貴重品が入ったショルダーバックを下段に置き、バックパックを上段に上げた。そしてショルダーを取ろうとその位置を確認した瞬間に、一人の子供が上段の荷物を指差しながら何か話しかけてきたのだ。

なまじヒンディ語が片言ながら理解できる私は、思わずその指先を見て、彼の言わんとしていることを理解しようとしてしまった。ほんの一瞬後、恐らく1秒はたっていないだろう、本能的にヤバイ!と察知してパッと下段のショルダーを振り返った。しかしそれはもう、すでに跡形もなく消えてなくなっていたのだった。

それは、この旅を三年間の総決算として全精力を注いできた私にとって、あまりにも過酷な試練となった。



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