2011年9月24日土曜日

万有の中心にあって、それを展開せしめるスカンバ


万有の中心にあって、それを展開せしめるスカンバ

話は少し遡る。インド出発の日程が迫る中、改めてインド思想の淵源に没入し彷徨していた私は、そこで今まで想像した事もないような壮大なチャクラ思想のパンテオンを見出して驚く事となった。そのひとつが、大宇宙を支える『万有の支柱・スカンバ』の思想だ。

前節の流れで古い時代の仏跡データを閲覧していた私は、あのアショカ石柱に引っかかるものを感じていた。このスタンバと呼ばれる石柱、インド国章になっているライオン・ヘッドで有名だが、実はオリジナルの姿では、柱の頂上にあるライオン・ヘッドのさらに上に、法輪がひとつ掲げられていたらしい。それが構造上非常に脆かった事もあって、現在、無傷の法輪の姿はほとんど残されていないが、当時、多くのアショカ石柱の最上部にはこの法輪が掲げられていた事実が発掘調査で明らかになっている。


サンチーのアショカ石柱、復元想像図

実は同じような造形を、遺跡ではなく生きたヒンドゥ寺院で目撃した記憶が私にはあった。それは08年の初頭に訪れたカルナータカ州の州都バンガロールの市内にある、ガヴィ・ガンガダレシュワル寺院の境内に立っている何種類かのスタンバだった。


写真データは盗まれてしまい手元になかったので、私はそれを確認すべく09年の暮れにこの地を再訪した。下の写真には円盤を頂上にいただいた柱が見える。これはスリヤパナスと呼ばれるスタンバで太陽神への信仰を表していたようだが、そのイメージは復元されたアショカ・スタンバによく似ていた。そして、その手前にはもうひとつのスタンバが立っていた。この寺院はシヴァ・リンガムを祀るシヴァ寺院なのだが、ここに立つスタンバはシヴァの神器であるトリシュラ(三叉の槍)を巨大化したものなのだ。


シヴァ寺院の境内に立つスリヤパナス

同トリシュラ・スタンバ

下の絵にある様に、シヴァがその手に持つトリシュラの柄はシヴァが人並みの大きさであればダンダ、つまり棒に見える。だが神が人と同じ大きさのはずはない。それをリアルに表現しようとすれば、ダンダを巨大化してスタンバにするしかない。

右側のシヴァが持つトリシュラ

同じ構図のチャトラ版を、やはりバンガロール近郊のボガナンディシュワラ寺院で見た記憶があった。それは神室前のホールに立つ巨大な石造りのチャトラだった。これも手に持つ大きさならばその柄はダンダだが、巨大化すればそれは立派なスタンバとなる(興味深いのは、その傘の裏面に美しい華輪の彫刻が施されている事だろう)。

そしてこのチャトラ・スタンバを横倒しにすれば、それはそのまま輪軸の造形に他ならない。そこには、それが車軸であれ傘や槍の柄であれ、ダンダと呼ばれる棒は巨大化させればスタンバ、すなわち柱になるという単純な事実があった。


巨大化したチャトラ・スタンバ

この思考プロセスには私の林業経験も若干関係している。例えば植えて3~4年の杉の若木を根元から間伐して枝を落とし皮を剥けば、それはちょうど手ごろな棒、つまりダンダとなって人の歩行を支える。一方、植えて20年以上たった杉を伐って同じようにすれば、それは立派な柱、つまりスタンバになって屋根を支える。そう、ダンダとスタンバとは、その大きさや用途が若干違うものの『本質的には全く同じもの』であり、『支えるもの』という働きをも共有する。これは私だけの経験的主観ではなく、インドを含めた世界中に普遍的な真理だと言えるだろう。

スタンバは巨大化したダンダである。ならばスタンバもまた車軸でありブッダではないのか。これが連想の果てにたどり着いた仮説だった。本来のアショカ・スタンバの最上部には法輪が掲げられていたと書いた。その復元図を上に紹介したが、プレーンで真っ直ぐに伸びたスタンバと小さな法輪のバランスは、本来の車輪システムの構造やサイズ比率と比べると著しく不自然だろう。だが、この石柱の目的は、第一に高く屹立するスタンバの巨大さによって、当時の人々の心を心服せしめる事にあった。巨大なスタンバに合わせて車輪まで巨大化し、しかもそれを本来の形のまま地面に対して水平に設置したならば、おそらくその車輪は自重によって崩落してしまう。この点はナンディシュワラ寺院のチャトラ・スタンバの傘が、その柄柱とのバランス上小さすぎるのと同じ事情だ。そこでいわば妥協案として、この様な姿が考案されたと私は見る。実際、ヴィジュアル的にも本来の機能的にも、車輪は地面に対して『垂直に』立つべきなのだ。

この『スタンバ=ダンダ』であり、それは同時に『車軸(アクシャ)=神仏』であるという仮説を検証するために、再び私は古のヴェーダ神話にまで遡っていった。

思い起こしてみれば、ヴィシュヌ神が世界を支える神として崇められていた事実は、すでにリグ・ヴェーダの中に明らかだった。それは具体的にスタンバというイメージと結びついていたのだろうか。

後のヒンドゥ教においてヴィシュヌ神像がダンダを持つとき、その像がせいぜい人並みの大きさであるために私たちはそれを棒だと錯覚する。だが巨大化したシヴァのトリシュラ・スタンバを思い出そう。天と空と地の三界を三歩でまたぐヴィシュヌ神の大きさを考えれば、その手に持つダンダもまた、人間の目から見ればあたかも天地を貫く巨大な柱そのものではないか。言い換えれば、ヴィシュヌが本来的には世界を支える柱である事を表すために、その手にダンダを持たせたと見る事も出来るだろう。

この世界の柱としてのヴィシュヌというイデアを象徴する遺跡が、実は仏跡で有名なサンチーの近く、ヴィディシャの郊外に存在した。そこには地元の人々から親しみを込めてカンブ・ババ(柱の神)と呼ばれる一本の石柱が屹立し、ヴィシュヌの乗り物がガルーダである事から別名ガルーダ・スタンバとも呼ばれている。

これは紀元前150年頃にギリシャからインドに大使として赴任していたヘリオドロスによって建てられたもので、当時、ギリシャ人の間にまでヴィシュヌ信仰が広まっていた事実を示して興味深い。ちなみにこのヘリオドロスという名前は『太陽(ヘリオ)の贈り物(ドロス)』を意味し、本来太陽神であるヴィシュヌを自らの守護神としたのだろう。その造作は、アショカ石柱に比べると大きさや造形技術においてすこぶる見劣りがするが、それでもなお、ヴィシュヌ神が世界のスタンバとして信仰されていた最古の証拠として極めて重要なものだった。


ヴィディシャのガルーダ・スタンバ

そしてこのヴィシュヌをスタンバと同一視する習慣は、現代にいたるまで伝わっていたのだ。改めて写真データを見直してみると、あのプーリーのジャガンナート寺院をはじめ、およそヴィシュヌ神を主神として祀るほとんどの寺院に、この石造りのスタンバが設置されている事実を確認することができた。私はこれまで数えきれないほどジャガンナート寺院を訪ねているが、私が気づかなかっただけで、それはそもそもの最初っからそこに立っていたのだ。

ジャガンナート寺院のガルーダ・スタンバ

このガルーダ・スタンバを前提に改めてアショカ・スタンバについて考えると、やはりこれはブッダそのものを表していた、という印象が強い。ナガルジュナ・コンダのストゥーパやチベットのチョルテン、法隆寺の五重塔など巨大な建造物では、本来的には車軸であるものが『柱』となってその中心に聳えていた。そしてその中心の柱が、法輪の車軸としてのブッダそのものである可能性についても検討してきた。ならば、アショカ石柱はその車軸である柱を分かりやすく建物の外に取り出して、ブッダそのものを象徴する単立のモニュメントとして建てられた、とは考えられないだろうか。いやそれは歴史的順序で言えば、本来単立のスタンバとして崇拝されていたブッダを、楼屋の中に囲い込んだものが五重塔だと言う方が正確かも知れない。

また前に述べたように、ブッダの法輪とヴィシュヌのスダルシャン・チャクラは同時進行的ライバル関係にあった。一方、アショカ石柱はヴィディシャのガルーダ・スタンバに先駆けて建てられ、後者が前者を模倣する形で建てられたという事実がある。ヴィシュヌがスタンバと同一視されたのは、あるいはライバルであるブッダがすでにスタンバと同一視されていた事の模倣とも考えられるのだ。

いやこの言い方はやはり適当ではない。本来ならリグ・ヴェーダですでに世界を支える者として崇められていたヴィシュヌこそが、スタンバの元祖だというのは間違いないのだ。それはダンダやチャクラのシンボリズムに関しても同様だ。より正確には、元々アーリア・ヴェーダのヴィシュヌに由来するものを、ある時代に仏教徒がブッダを象徴するシンボルとして借用し大々的にフィーチャーした。それがアショカ王の権勢に乗ってインド世界全域に広まり、やがてヒンドゥ教の復興と共に、改めてそれがヴィシュヌのものとして復活していった。それが正しい順序だろう。

この関係はシンボルだけではない。ヴィシュヌの化身であるラーマは、仏伝ではシッダールタの前世の姿として描かれている。またヴィシュヌの9番目の化身として、ブッダ自身が非常にいびつな形で取り込まれている事実もある。アショカ王の時代、すでにブッダをヴィシュヌと重ね合わせる思想があったのかも知れない。ブッダとヴィシュヌは色々な意味で、複雑に錯綜したライバル関係にありながら歴史を綾なしてきたと見るべきだろう。

仏伝によれば、後に覚りを開いてブッダになるシッダールタは、その誕生の瞬間、七歩歩いて天と地を指さして『天上天下唯我独尊』と宣言したという。直立して右手で天を、左手で地を真っ直ぐに指さしている誕生仏のイメージは、正に『唯一無二の柱』を彷彿させる。


誕生仏

そしてこの構図、怒れるインドラが大雨を降らした時、ゴーワルダン山を片手で持ち上げて傘として、人々をその雨から守ったというクリシュナ神話の構図とも重なり合う。これなども当時の仏教徒がブッダを、ヴィシュヌ=クリシュナ神と同じような三界(法界)を支える支柱と考えていた事の表れと見るのだが、どうだろうか。

ゴーワルダン山を片手で持ち上げるクリシュナ。
彼は世界の柱であると同時にチャトラの柄である。

私は前に、『世界の車軸としての神』という普遍的な思想があった、と書いた。ならばそこには当然、ブラフマーやシヴァを世界のスタンバに見立てる証拠も残されているはずだった。この世界あるいは大宇宙を巨大な車輪と見立てるならば、それを支える車軸は人間の想像を遥かに超えた壮大な柱となる。そして事実はその通り、ヴェーダやプラーナの諸文献のあちこちにその様な記述を見出すことができたのだ。

紀元前千年前後になると、リグ・ヴェーダ的な多神教人格神群に飽き足らなくなったインド人は哲学的な思索を深め、ついに大宇宙の唯一者であり創造の根源であるブラフマンの思想を確立する。その原風景とも言えるアタルヴァ・ヴェーダの中に、万有の支柱『スカンバ』が登場する。

「至高なるブラフマン、その足元は地を、その腹は空を、その頭は天を支え~、このスカンバは広き六方の世界を生み出し、宇宙の全てに浸透する(アタルヴァ・ヴェーダ、スカンバ賛歌)」

スカンバとはスタンバの別綴りで、一般に柱を意味する『カンブ』に神的美称である『ス』を冠した名詞だ。ここでスカンバは『カーラ(時間、これが車輪と重ね合されていた事を思い出そう)』などと共に宇宙の根本原理として称えられ、ブラフマンと同一視されていた。そしてこの宇宙はブラフマー・チャクラ(梵輪)の展開と表現され、ブラフマンは文字通りこの世界の巨大な車軸と位置付けられていた。

同じアタルヴァ・ヴェーダの中には、『偉大なる神的顕現(スカンバ)は万有の中央にありて、~ありとあらゆる神々は、その中に依止す、あたかも枝梢が幹を取り巻きて相寄るがごとく(辻直四郎訳)』という表現もある。この辺りは前述したブッダの菩提樹とも関連して非常に興味深い。つまりそこには、ダンダである幹をスカンバとも見立てている事実があるからだ(そもそも柱とは木の幹から切り出したものである!)。

それにしてもここに見るスカンバ観、リグ・ヴェーダのヴィシュヌ観と余りにも酷似していないだろうか。このブラフマンというコンセプトは非人格的な中性名詞であったが後に
人格神化し、台頭するヴィシュヌやシヴァなどのヒンドゥ人格神群と共に男性名詞のブラフマーとしてトリムルティの一角を担う事になる。

そしてサーンキャ哲学で紹介したアートマンとこのブラフマンが、後期ヴェーダのウパニシャッド思想において同一視されて『梵我一如』の思想が生まれる。アートマンがプルシャであり車軸であったと前提すれば、『ダンダ=車軸=アートマン』と『スカンバ=万有の支柱=ブラフマン』、そして『アートマン=ブラフマン』として、すべての文脈が見事に合致する事になる。そしてヒンドゥ教の最も聖なる音節(アクシャル)である『オーム』が、カータカ・ウパニシャッドの中で『最高者』ブラフマンと呼ばれ、『世界の最も優れた支柱』に例えられていた事実が、ここにおいて極めて重要な意味を持って来るのだ。

ラタ戦車の片輪を浮かせて回転させれば、地面との擦過音などの雑音を除いた純粋な車輪の回転音を聞くことができる。その製造工程が精緻であればあるほど、車軸と車輪が交わるところに生まれる抵抗は小さく、その摩擦音は精妙になる。私はそれを実際に聞いたことはなく想像にすぎないのだが、ひょっとしてそれは、かそけき神の韻律を思わせる『ウゥォォォン』という神秘的な共鳴音ではなかっただろうか。

やがてインド思想の成熟と共に車軸はスカンバになり至高なる神となり、車輪は梵輪となり展開する現象世界と重なり合った。聖音オーム。それは車軸なる神と車輪なる世界が交わるところに生まれる、大宇宙の通奏低音だったのだろう。

余談になるが、前にインド武術のひとつとして紹介した『マラカンブ』が『戦士の柱』だったことを思い出す時、面白い符合に気がつく。地面に立ったマラカンブ柱をブラフマン=アートマンである中心軸に見立て、その周囲を現象世界(サンサーラ)に属する人が車輪のように回りながら様々なポーズを展開していくと考えれば、それはすなわち、ヴェーダ思想の体現そのものと解釈することも可能なのだ。

最後にシヴァ神の場合を見てみよう。シヴァ派の神話によれば、ある時ヴィシュヌ神とブラフマー神の間で、どちらが世界の創造者であるかという口論が起こったという。だがお互いがお互いに我こそはと主張を譲らず結論が出ない。そこに突然、巨大な炎のリンガが現れた。その頂は天の果てに消え、その根元は海の深みに沈んで見えない。そこでこのリンガの果てを調べるため、ブラフマーは白鳥に変じて天に上り、ヴィシュヌはイノシシに変じて海に潜った。だが二人ともリンガの端を発見できず、それが無始無終の大いなる柱であると確認して恐れ慄くばかりだった。すると突然、シヴァ神がリンガの柱を割ってその姿を現したのだ。ヴィシュヌとブラフマーはシヴァの偉大さに脱帽し、彼こそが宇宙の創造者であり、至高の神であると認め礼拝した。それ以来、寺院の中でシヴァ神はリンガとして崇められるようになったと言う。


リンガを割って現れるシヴァと左右で礼拝するヴィシュヌ、ブラフマー

この神話と符合するように、前出のスカンバ賛歌には『スカンバ(リンガの柱)の形をとったシヴァは、ヴィシュヌとブラフマーに祝福を与える』として、シヴァがスカンバと同置されている部分がある。さらにシヴァ派の経典には、『三界のすべてを支える万有の支柱であり、一房の髪に月が光り輝く至高のシヴァ神に帰依します』とシヴァ神を称えるマントラ(真言)さえ存在するという。炎のリンガはその天と地を貫くイメージ通り、巨大なスカンバそのものだったのだ。このスカンバが大宇宙の中心軸であり、リンガもまたシヴァ・リンガムの造形における車軸だったことを考えた時、これらの言葉は一層深い意味を持って迫ってくる事だろう。

聖音オームは、すべてのヒンドゥにとって重要な意味を持っているが、中でもこのシヴァ神と最も密に関わり合っている。現存するヨーガ流派の多くがシヴァ神を主神として崇めており、オームのマントラは特にヨーガの修行、中でもプラーナヤーマという呼吸法と密接に結びついているからだ。ヨギやリシと呼ばれる修行者たちは、シヴァ神と同じようにヒマラヤの山中に結跏趺坐し、繰り返しオームを唱えて瞑想にふける。

聖音オーム。あるいはそれは、車軸なるシヴァと現象世界なる神姫シャクティが交わるところに生まれる、『愛の睦言』だったのかもしれない。

『世界の中心で愛を叫ぶ』という映画がヒットしてから久しいが、そもそも人は何故世界に『中心』があると発想する事が出来たのだろうか。いやそれ以前に、人は何故、『中心』という概念そのものを獲得することができたのだろうか。

宗教学者のエリアーデによれば、この世界に中心軸『アクシス・ムンディ』が存在するという思想は全ユーラシアに普遍的に存在し、その広がりの地理的中心は中央アジア周辺だという。これをスポーク式車輪の分布の拡大と重ね合わせたら何かが見えては来ないだろうか。

板を張り合わせた旧型の車輪に比べ、スポーク式車輪は高度に精巧なバランスの上に成り立っていた。そこで求められるのは何よりも厳密な中心性だった。それは高速で疾走するラタ戦車の場合にはより顕著だっただろう。もし中心がずれて力学的なひずみが溜まれば、パーツを組み上げた繊細なスポーク式車輪は、あっけなく分解してしまう。アーリア人はそのような車輪を開発し、何よりも重要な道具として日々密接に関わりを持っていた。彼らはその製造や使用の過程で、いかに中心というものが重要であるかを強烈に意識せずにはいなかったのだ。そして何より、この車輪はラタ戦車の威力をもって彼らの生活に革命を起こした神威の象徴でもあった。そんな彼らが、車軸を中心に回転する車輪をこの世界と重ね合わせて、この世界にも車軸に相当する中心軸(としての神)『アクシス・ムンディ』が存在するはずだと考えたのは、ごく自然な成り行きではなかっただろうか。

 やがてインドにおいて、この『世界の中心軸』というコンセプトは、もうひとつ、余りにも稀有壮大な『メール山』の万華鏡世界観を生み出すに至る。


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