2011年9月25日日曜日

世界の中心にあって、それを展開せしめるスメール

ブッダの死後大乗化していった仏教は、本来のブッダの教えから離れて様々な哲学思想を展開していった。そのひとつに須弥山の世界観がある。

倶舎論によれば、大宇宙であるところの虚空にぽっかりと気体でできた風輪が、その大きさは文字通り宇宙大の広がりを持って浮かんでいる。その上に太陽の直径の六倍ほど、800万Kmを超える直径を持つ液体の水輪が浮かび、その上に同じ直径で固体の金輪が浮かんでいる。金輪の上は塩水の海によって満たされ、その周囲を囲むように鉄囲山が取り巻いている。広大な海の中心には須弥山が聳え、その周りは七金山によって環状に囲まれている。その周囲にはやや離れて四つの島大陸があり、南側にある閻浮提(えんぶだい)が私たちの住む世界だ。島の底は海中で金輪の表層とつながって、その金輪の地下深くに地獄界がある。須弥山には帝釈天(インドラ)や梵天(ブラフマー)を始めとした神々が住み、その中腹を太陽(日天)と月(月天)が回っているという。


倶舎論を元に描かれた須弥山の世界観概念図

煩雑に過ぎるのでこれ以上の詳細な解説は控えたいが、この概念図を見ると、それが明らかに車輪をベースにしていて、しかもシヴァ・リンガムとも酷似している事に気づくだろう(ちなみに仏典に登場するアジャータシャトル王の時代、ラタ戦車の木製車輪の周囲には鉄製のタイヤがはめられていた事が遺跡などから分かっている。須弥山の大海を囲む鉄囲山はここからの連想ではないだろうか)。

シヴァ・リンガムとの相似は形だけではない。マハラシュトラ州を中心とした西インドで広く用いられているシヴァ・リンガムのデザインには、しばしば太陽神スリヤと月神チャンドラがあしらわれている事実がある。この事から、シヴァ・リンガムの造形が成立する過程で、この須弥山のイメージと相互に深く関わり合っていた事がうかがい知れるのだ。


月と太陽をあしらったシヴァ・リンガム

さらに面白い事実がある。この須弥山の世界観は、ヒンドゥ教やジャイナ教においてもメール山(スメール)の名前で共有されている(仏教の須弥山はスメールの漢訳)のだが、ヒンドゥ教版のメール山は、あのシュリ・チャクラが立体化したものだったのだ。このシュリ・チャクラ、シヴァのパートナーである神姫のデヴィ・シャクティを象徴するヤントラであった事は前に説明した通りだ。

シュリ・チャクラが立体化したメール山

察するに、本来はスメール世界観のデザインであった車輪ベースの形を、シヴァ派の人々がシヴァの中心性を表すために流用してしまった。しかしメール山そのものを無くす訳にはいかない。そこでシヴァのパートナーであるシュリ・チャクラを立体化して山にする事によって、メール山に充てたのではないだろうか。

実はこのメール山、デザイン的にはいくつかのパターンがあって、その中にストゥーパそのものとも思えるドーム型の造形も存在する。一説によれば仏教のストゥーパは須弥山を表しているとも言われ、この辺り、全インド教の思想やデザインがいかに重層的に輻輳しているかを、如実に示していると言えるだろう。


メール山のストゥーパ型バリエーション

2010年の3月、私はラジャスタン州のアジメールでジャイナ教版メール山の実物モデルを見る事ができた。それは前掲した想像図にさらにスポーク的な放射状のデザインを加えたもので、メール山の世界観が車輪をベースにしている事を明確に示すものだった。

ジャイナ教はインドでは滅びてしまった仏教を始め、古代の様々な宗教思想やデザインを、現代にまで保存継承している貴重な証言者だと言える。この実在の『メール山モデル』がシヴァ・リンガムそのものの形だった事を確認して、シヴァ・リンガムが車軸と車輪をベースにしているという仮説もまた、私の中で確信へと変わったのだった。


ジャイナ教のメール山

余談になるがこのアジメールという地名、ヒンディ語で『アジ』は『自ずから存在する者=ブラフマン』を表し、ブラフマンのメール山と読むこともできる。私はこの符合を知った時、思わず『神のリーラ』を思って苦笑してしまった。

さて、最後にここで思い出して欲しいのが、法隆寺のあの心柱だ。実は五重塔の一階部分、初重と呼ばれる広間には、心柱を囲む形でリアルな須弥山の塑像が置かれているのだ。本来ストゥーパである五重塔の内部中心に須弥山が築かれ、更にその中心から心柱が屹立している形になる。それは万有世界の中心であるスカンバの仏教版であり、中心の中心である心柱が、ブッダ(あるいは法身仏)の暗喩であった明らかな証拠だと私は考えた。

そしてその仮説は時を経ずに証明された。日本全国に古い木造の五重塔は散在しているが、中でも法隆寺と並ぶ京都の東寺の五重塔に、心柱に関する伝承が残っていたのだ。8世紀の末に創建された東寺は、その20年後に嵯峨天皇によって真言宗の宗祖・空海に下賜され、以来真言密教の根本道場として栄えてきた。そのシンボルとも言える五重塔は高さ54.8メートルで、木造の塔としては高さ日本一を誇るという。

初重内部には、法隆寺のそれと同じ造作で須弥壇と心柱が置かれている。須弥壇には金剛界四仏像と八大菩薩像が祀られているが、真言密教の本尊である大日如来の姿はそこにはない。寺史によれば、五重塔建立を直接指揮した空海本人によって、中心に屹立する心柱こそが大日如来として位置付けられたという。心柱の基壇には仏舎利が収められ、それが大日如来だけではなくその化身としてのブッダ自身をも表していた事は言うまでもない。インドから数千キロ離れた極東日本の古代建築に、御仏がスカンバであった証拠が見事に残されていたのだ。

以上見てきた様に、インド的な世界観が『中心なる車軸とその周りで展開する車輪世界』という共通する思想によって貫徹されている事実が明らかになった。それは世界の構造を云わば『チャクラ・ボディ(車輪体)』と見立てていたと言っていいだろう。


サルナート法輪精舎と後藤恵照和尚

2010年4月初旬、私は北インドのサールナートに来ていた。ここにはかつてインド放浪をしていた時最もお世話になった法輪精舎があり、いわば私自身のチャクラ意識の原点とも言える土地だった。2年振りに再会した住職の後藤恵照師は相変わらずの和尚節で私を歓迎してくれ、本稿に関する話題を二人で語り明かした。和尚さんが運営する学校の為の募金活動をする昼間、私は改めて州立博物館を訪ねブッダの初転法輪像にお参りした。そして自然な流れで隣接する鹿野園の遺跡公園をぶらつきながら、足掛け15年にわたるインドとの様々な関わりを思い返した。

ふと見上げた私の視線の先に、ダメーク・ストゥーパが立っていた。それはアショカ王がブッダの初転法輪を記念して建てたと言われるストゥーパだった。だがそれを見た瞬間、私の心にある違和感が生まれたのだ。この形はつい最近見たことがある。そして気がついた。そう、それはアジメールで見たジャイナ教のメール山とよく似ていた。ダメーク・ストゥーパはその名前を裏切るように、一般に見られるドーム型のストゥーパよりも、むしろ円筒状のタワーに近い形をしている。それが私に、世界の中央に屹立するタワー状のメール山を思い出させたのだ。

サールナートのダメーク・ストゥーパ

何だろう、この感覚は?さらに何かが引っかかる。そう思った次の瞬間、私の心は鳥となって空に舞い上がり、気がつけばダメーク・ストゥーパの天辺に立っていた。灼熱の地上とは打って変わって、そこには強い風が行き交い暑さはほとんど感じない。周りに広がるのは北インドの大平原。遠くには、遥かにかすんで円弧を描く地平線が見える。その地平線を見渡しながら視線をゆっくりと転じてゆけば、大地は地平線によって360度切り取られて、あたかも丸い円盤であるかの様に見えた。そして、その円盤の中央には、大地を貫いて頭を出したかのようなダメーク・ストゥーパが、車軸のように、あるいは巨大なリンガのように、屹立しているではないか。

私はその屹立する頂上から世界を俯瞰しながら、全てを理解していた。これこそが、古代インド人が世界を車輪のモチーフと重ねて描き出した、メール山の原風景なのだと。

頭の中のシミュレーションから我に返って、私は大きく息をついた。そうなのだ、それがストゥーパであれ大地に屹立する孤立した岩山であれ、地上から遥かな高みに登って周囲を見渡せば、大地は360度に広がる円盤以外の何ものでもない。その単純な事実に気づいた古代インド人は、自ずからこの世界を聖なる車輪と重ね合わせたのだ。

私はダメーク・ストゥーパを見つめながら、あまりにあっけない謎解きに、しばし立ち尽くすばかりだった。だがこの認識は、ある意味現代においても十分に通用する普遍性を持っていると言えるだろう。

スペース・シャトルに乗って周回軌道上の遥かな高みから地上を見下ろせば、地球はやっぱり丸いんだなと理解できる。事実としてそれは球状なのだ。しかし私たちの視覚が、両眼視によって擬似的に立体視を可能にしつつも、常に事物をある一面からしか見ることができない以上、実際には球状の地球は丸い円盤にしか見えない。それは実際には球状の太陽が、地上からは丸い円盤にしか見えないのと同じ理屈だ。だからこそ古代インド人は太陽をスリヤ・チャクラ(日輪)と呼んだ。もし北極の高高度上空から地球を片目で見下ろし、自転軸と経度線を可視化してイメージすれば、それは回転する巨大な車輪そのものに見えるに違いないのだ。




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