2011年10月16日日曜日

神聖チャクラ帝国

 
 一体ここまで、私はいくつのチャクラを紹介して来ただろうか。

インドラに象徴される戦場を駆け巡る武神のラタ・チャクラ。


天空を駆け巡る太陽神のスリヤ・チャクラ。


インダスのチャクラ・ヴィジョン。


ブッダのダルマ・チャクラ。


ヴィシュヌ・クリシュナ神のスダルシャン・チャクラ。


聖性とその結界を象徴する華輪、ロータス・チャクラ。


デヴィ・シャクティのシュリ・チャクラ。


そのクンダリーニ思想を象徴するヨーガ・チャクラ。


男性原理と女性原理の結合を端的に象徴する六芒星のチャクラ。


それらが応用された神々のヤントラ・チャクラ。


デヴィ・シャクティと結びついて南インドで目くるめく展開を見せた
吉祥文様のランゴーリ(コーラム)・チャクラ。


御神体のチャクラ・タルワール。


そして宇宙の至高神コスミック・ダンサー
としてのナタラージャ・チャクラ。


チベット仏教に伝わるタントラ的なマンダラ世界。


重なり合うシヴァ・リンガム、


ストゥーパ、

メール山、


そして蓮華蔵世界。



そして、これらチャクラ思想の核心とも言える、
車軸(花托)=神、あるいは仏。



 インド宗教思想の歴史とは、文字通りチャクラ思想の展開の歴史そのものだった。

 それを象徴する様に、全ての宗教によって共有される吉祥文様、あるいは結界としてのチャクラ・デザインがあった。それはジャイナ教寺院では高度に凝集された精緻を極めた天井の華輪彫刻として結実し、シーク教ではイスラムの影響を受けたモザイックなデザインとして寺院の床を飾り、キリスト教会のステンドグラスや、ムスリムの帽子にさえ取り入れられている。

ジャイナ教寺院の精緻を極めた天井彫刻

シーク教黄金寺院

ムスリムの帽子

 それはもはや、全インドの宗教意識そのものを象徴するデザインと言ってもよかった。

 そしてそれは、宗教の世界だけにとどまるものではなかったのだ。

 マトゥラーの州立博物館を訪ねた時の事だ。ここはクリシュナの生誕地であると同時にインドの仏像彫刻発祥の地としても知られているが、繊細優雅なその仏像彫刻と共に私の目を惹いたのが、シュンガ朝時代の紀元前2世紀頃に作られたテラコッタの女性像だった。彼女達はその頭や耳や胸に、明らかに車輪をかたどったアクセサリーをしていたのだ。単に宗教的なシンボルにとどまらず、チャクラは日常の服飾デザインにまで進出していた!この新しい視点によって、私がインドを見る眼は大きく転換する事となった。

テラコッタの女性像

 インドを旅する外国人男性にとって、インド人女性とコミュニケーションをとる機会は非常に限られている。インドの文化では、未婚、既婚を問わず妙齢の女性が見ず知らずの男性と話をするというのは、非常にはしたない事とされてきた。ましてやそれが外国人相手ならば尚更にハードルは高い。また、外国人が接触する機会の多い商店やレストラン、ホテルの従業員なども男性ばかりで、若い女性が社会で働いている姿は大都市や南インドの一部を除いてほとんど見られない。

 だからこれまで長くインドを旅してきた私にとっても、インドの女性と言うのは、何か決して関わる事が出来ない存在、インド世界の単なる一構成要素として背景に退いていた。彼女達が着るサリーや身につけるアクセサリーなど、興味を持って見つめた事などなかった。それはエキゾチックでカラフルな、しかしただ遠くから一瞥する、インド的風景の一部に過ぎなかったのだ。

 けれどマトゥラー博物館での経験によって、私の視点は180度変わってしまった。町を歩く時に、常に女性の服飾デザインに注意し始めたのだ。そして私は愕然とした。彼女達のデザイン・センスは、二千年以上前のシュンガ朝の時代とほとんど変わらず、プリミティヴとも言えるチャクラ・デザインを現在進行形で身につけていたのだ。

 百花繚乱のチャクラ・デザイン。それは寺院から飛び出して、街中に溢れていた!

それが最も端的に表れていたのが、女性達の日常着サリーだった。21世紀の今日でもインド成人女性のほぼ九割近くが民族衣装のサリーを日常的に着用している。掃除洗濯をする時も、田畑で野良仕事をする時も、土方仕事をする時も、オフィスでデスクワークをする時も、彼女達はサリーに身を包んでいる。日本人女性の九割が常に和服を着ている事態を想像すれば、その驚くべき数字を実感できるだろう。

そしてサリーのデザインの中で最も人気が高いのが、実はチャクラ・デザインだったのだ。それは単純な日輪や車輪から始まって、カラフルな華輪、大柄な吉祥文様など、ありとあらゆるチャクラ・デザインのオンパレードだった。サリー・ショップの店員によれば、それらは普段着としても勿論だが、特に年末年始や祭、そして結婚式の時など、『晴れ』の機会に好んで着られるという。

チャクラ・デザインのサリー

 さらに気をつけて見ていくと、チャクラ・デザインはサリーにとどまらず、女の子が着るパンジャビ・ドレスや男女の子供服、最新モードの洋服から各地の民族衣装、指輪やイヤリングなどのジュエリーに至るまで広がっていた。それは、あたかもチャクラ・デザインで全身を飾ったバラジーやラクシュミが、人の姿をとって町に繰り出したようにも見えた。

ペンダント

 それは服飾にとどまらない。巨大な広告ボードや店舗の看板、店内の装飾、民家の壁に描かれるペインティング、結婚式やイベントで使われるテントやまん幕、伝統意匠のシーツやテキスタイル、民芸品の家具や小物に至るまで、インド世界はチャクラ・デザインで満ち溢れていた。

サトウキビ・ジュース屋の幔幕

ベッド・シーツ

 一体今まで、私はインドを旅しながら何を見ていたのだろう。目から鱗とはよく言ったもので、この時の私が正にその状態だった。

 そんな私は、ふとタイの事を思い出していた。

 東南アジアの中心国家タイ王国は、敬虔な仏教国であると同時に王室を敬慕する事並々ならぬ国民性で知られている。日頃からそうなのだが、特に国王が病で臥せったりすると街中に王室を象徴する黄色いシャツが溢れて、人々の国王に対する信愛の情とその深さが示されるのだ。聖俗共にチャクラの意匠に溢れたインド世界とそこに住む人々の姿は、国王への忠誠を表して王室グッズを身につけるタイの人々の姿と、見事に重なって私の目に映った。

 その時、私は極めてリアルに感得していたのだ。
インドは、チャクラを神として崇める『神聖チャクラ帝国』だった!

 もちろんチャクラそれ自体は王でも神でもない、それはあくまでも聖性を、あるいは神威を象徴する『シンボル』に過ぎない。けれどそのシンボルは、中心にある車軸を神と見立て、車輪を世界とするイデアを伴いながら、少なく見積もっても四千年以上の歴史を通じて、常にインド世界の中心テーマであり続けた。数え切れないほどの王朝が興亡し、宗教思想が様変わりしても、それらに関わりなくチャクラは常にインドの人々の中心にあり続け、その心を魅了し続けたのだ。

 ヴィシュヌ思想にいわく、神は世界の全てに渡って浸透し遍満するという。
 それは正に、インド世界における、チャクラそのものだった。

 いち棒術家に過ぎない者がこんな事を言うのはおこがましいかも知れないが、私はインドに関わる全ての人々に、新しい『チャクラ学』を提唱したいと思う。本来チャクラ学とはヨーガのチャクラ思想を扱う限定された概念だったが、私が提唱するチャクラ学とは、ヨーガ・チャクラをも包含したインド・チャクラ意識の総体を取り扱う新しい視点だ。

ひとたびチャクラ意識というコンセプトを獲得すると、建築、美術、芸術、宗教、思想や歴史、現代的な社会現象に至るまで、インド世界の全てに渡って透徹した視点を確立することが出来るだろう。それはインドを扱う全ての学問分野において、全く新しい認識の地平を切り開いていくに違いないのだ。


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