2011年5月27日金曜日

第二、第三のチャクラ


ある日、取材の合間に町を歩いていた私は、ふと見上げたジャガンナート寺院の尖塔に車輪のような装飾を発見して、何気なく地元の人に質問してみた。すると、彼はごく当たり前のように、

「あれはスダルシャン・チャクラだ」と答えたのだった。


スダルシャン・チャクラ! 初めて聞く単語に当惑した私は、咳き込むように、それは何だと訊ねた。すると彼は、そんな事も知らないのかと言いたげに、

「ヴィシュヌ神が悪魔を滅ぼすための武器さ」とさらりと言ってのけたのだ。

 それは別名『ニーラ・カーラ・チャクラ(青い時の車輪)』とも呼ばれるという。

実はジャガンナート寺院は、ナットドワラのシュリナート・ジー寺院と同じようにクリシュナ神を主神として祀っていた。それは同時にクリシュナをアヴァターラ(化身)とするヴィシュヌ神を祀っている事を意味する。

 聞けば、世界の維持を司るヴィシュヌ神は、この世が乱れ悪がはびこり正義が失われた時、アヴァターラの姿をとってこの世に光臨し、破邪の究極兵器スダルシャン・チャクラを投じて悪(アダルマ)を滅ぼし、正義(ダルマ)を回復するのだという。

ジャガンナート寺院の尖塔に掲げられた車輪は、その破邪の力を世界に放射し人の世をあらゆる災いから守護する、ヴィシュヌ神の象徴だったのだ。

 破邪の究極兵器スダルシャン・チャクラ! 

 その響きはとても新鮮なものだった。チャクラと言えばブッダのダルマ・チャクラしか念頭になかった私にとって、スダルシャン・チャクラの存在はある種晴天の霹靂だったのだ。

 そして、ブッダの転法輪以外に車輪のイデアが存在したという事実は、さらにもうひとつ、別の車輪がある事を私に思い出させた。それはプーリーの北、ベンガル湾の海岸に面した遺跡の村、コナーラクだった。ここにある世界遺産の太陽寺院は、その巨大な車輪の造形で有名だったのだ。私はその地をやはり10年前に訪れている。13世紀に建てられたこの巨大な石造寺院は、確か、太陽神スリヤが乗って天空を駆け巡る、神的チャリオット(古代戦車ラタ)に見立てた造形だった。そして、その巨大な車輪はスリヤ・チャクラと呼ばれていたはずだ。


 さらに古代戦車と言えば、ジャガンナート寺院の例祭ラタ・ヤットラは巨大な山車に御神体を乗せて町をパレードする事で有名だが、この山車がラタ戦車を模した物だった。この山車の巨大な車輪に轢かれて死ぬことによって全ての罪が清められ天国に生まれ変われるとして、かつては多くの熱烈な信者達がその下にわが身を投げ出したと言う。


 私の脳みそはイモずる式に記憶を紡ぎ出し、急速に回転し始めていた。
 
 そもそも何故、ブッダの布教の歩みが車輪の回転に例えられたのだろう。それは何故、『車輪』でなければならなかったのだろうか。

 ヴィシュヌ神が悪を滅ぼす究極兵器も、何故、同じように車輪でなければならないのか。
 そして太陽神スリヤは、何故ラタ戦車に乗って天空を翔け、巨大な車輪によってその神威が象徴されるのだろうか。

 そして何故、ジャガンナート神はラタ戦車に乗って行幸し、その車輪には魂を救済する力があるのか。

 インドの宗教思想の中で、車輪(チャクラ)あるいはラタ戦車というものが、何か重要な意味を持っているのは明らかだった。

 そう思ってプーリーを歩くと、驚いた事に町には車輪(チャクラ)のデザインが溢れていた。民家のベランダの手すり、ブロック塀のデザイン、寺院の壁に描かれたペインティングなど、無数の車輪がそこかしこにあしらわれている。

 宗教思想だけではなく、人々の日常意識の隅々にまでも、チャクラの形は浸透していた。ひょっとすると、この様なチャクラ意識とでも言うべき感性が、インドにおいて棒術の回転技を発達させた理由なのかも知れない。

 それにしても何故、他でもない車輪なのか。謎はその一点に収斂されていった。

 しかしこの新しい視点は、私の中でしばらく棚上げとなった。旅の途上では集中して資料を調べて研究する事も難しい。それに思想的な事よりも、今はもっともっと大事な仕事がある。私はオリッサから一路南下してタミルへと向かった。

これまでの見聞で、インド武術の優位性はそのエクササイズにこそあると見ていた私は、その象徴としてマラカンブを前面に押し出していく方針を固めていた。そのために、今回携えたビデオ・カメラが絶大な威力を発揮するだろう。華麗なシランバムの回転技や、カラリパヤットが醸し出す古式ゆかしい世界観を伝えるためにも、ビデオは欠かせない。それらの映像をウェブ上で紹介する事こそが、今回の使命だった。


 私はタミルからケララへと多くの道場を訪ね、歴史、思想を学び、ビデオを収録、収集した。合わせて回転技のバリエーションを増やすべく教えを請うた事は言うまでもない。道場だけではなく、いくつかの競技会に参加してトップレベルの選手たちの妙技をビデオに収める事もできた。普通の観光など全く出来ないような忙しい日々の中、多くのマスターたちが無償で協力してくれた事は、私を大いに励ましたのだった。

この南インドを巡る過程で、モチは餅屋と言うべきか、北インドにおける伝統武術の情報も次第に入ってきた。パキスタンと国境を接する北西部のパンジャブ州には、シーク教徒によって伝承されるガトカと呼ばれる武術が存在し、北東部のミャンマー国境に近いマニプル州には、タンタという武術がモンゴロイド系の人々によって伝承されているという。さらにヨーガの聖地としても知られるリシュケシュには、ヴャヤムという太極拳の様な武術的エクササイズが保存され、ヨーガやダヌル・ヴェーダとも深いかかわりを持っているらしい。ガトカとタンタにおいても棒術の回転技が実践されていると言い、回転技の分布が亜大陸全体に及ぶ事実が、ここに確認できたのだった。


明くる2007年春、私は帰国の途についた。実はインド滞在中の1月末、ある空手雑誌からインド武術に関する記事の執筆依頼が入っており、それが日本での最初の仕事となった。そのかたわら印度武術王国サイトに旅の成果を反映させる一方、当時注目され始めていたユーチューブにアカウントを開いて収集した動画をアップし、少しずつ相互リンクを完成させていった。

そうして当面の仕事に目途をつけた私は、旅の途上もずっと気がかりだったチャクラの謎に、改めて向き合う事となったのだ。

 秘められたチャクラ思想の背後に、回転技の真意が隠されているに違いない。アルバイトをしながらサイトを更新し、合わせて棒術の稽古を続けるという忙しい毎日を送りながら、私は同時に、チャクラ思想の歴史を知るべく様々な文献を渉猟し、ネットを漁って情報収集に努めた。

その結果、驚くべき事実が明らかになる。

 チャクラ思想の起源。それは少なく見積もっても紀元前2000年、つまり今から4000年もの昔に遡るものだったのだ。


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