一般にすべての稽古は、東から西へと道場内を縦に長く使って移動しながら行われる。『ワダットゥ・ナーレ、イダットゥ・ナーレ』ヴァイターリと呼ばれるグルッカルの掛け声に合わせて、横一列に並んだ子供達が、右足、左足、と、一斉に前蹴り(ネール・カル)を始めた。最初は軽く身体を慣らし、段々と足の高さが上がっていき、ついには軸足から蹴り上げたつま先までが一直線に見えるほど、その蹴りはしなやかに伸びていく。基礎体錬メイターリの基本キックの始まりだ。
ネール・カル
前蹴りに続いて振り子蹴り(ティルチ・カル)、外回し蹴り(ヴィードゥ・カル)、内回し蹴り(アカム・カル)、斜め蹴り(コーン・カル)、そして蹴り座り(イリティ・カル)、蹴り座り反り回り(マラルナ・イリティ)、最後に猪のポーズを連続した流れとして行うニーキ・デルテが終わる頃には、子供達の肌には薄っすらと汗の玉が浮かび始める。
道場の床は前述したように掘り抜きの土の地面だ。しかも完全なまっ平ではなく、微妙なでこぼこや傾斜がある。この起伏が、特に振り子蹴りの時には大敵になる。これは前蹴りの蹴り足が自然に落ちてくる勢いを利用して180度ターンし、同じ足で再び前蹴りをするというもので、高度なバランスが要求され、わずか数ミリの段差にさえ、簡単に体勢を崩されてしまうのだ。
基本的に野外での白兵戦やゲリラ戦を想定したカラリの練兵では、自然環境ではイレギュラーこそレギュラーである、という明白な事実が大前提となり、イレギュラーの中でいかにレギュラーに身体を操作できるかが試されているのだろう。
意外と狭い道場内で、一度に稽古できる人数は限られている。およそ3~7人を単位とする一組が終わると、彼らは休みに入り、次の組が入れ替わりで同じエクササイズを始める。一通り基本キックが終わると、いよいよメイパヤットと呼ばれる、シリーズを構成する体錬の型の始まりだ。
『アマルナ!』
グルッカルの掛け声と共に、一列に並んだ子供達が一斉に手を振り上げ、そしてしゃがみこんだ。象のポーズだ。1拍おいて掛け声は畳み掛けるようにスピードを増していく。ライオンのポーズから飛び上がって着地し低い馬のポーズへ。立ち上がって左右の前蹴り。そして蹴りからふわっと浮き上がるようなジャンピング・ターン。子供達の全身は、あたかも譜面上の音符の様にグルッカルの指揮に合わせて軽やかにリズミカルに、波打っていく。それは滞る事を知らないエナジー・フローの波だった。東から西へと進む波は、壁に当たってジャンピング・ターンによって東へと向きを変え、入り口の扉に向かって再び波打っていく。
象のポーズ
実際の稽古を見ると、子供達はほとんど肩を接する近さで並んでメイパヤットを行っている事が多い。グルッカルによれば、あえて不自由な環境で激しく動く事によって、隣とぶつからない為の間合い感覚や協調性を養うのだと言う。
少しずつポーズの種類を変えながら、この往復の波が数回繰り返され、最後に蛇のポーズからダイナミックな体の変換をすると、子供達は一斉にプータラに向かって縦開脚を決めた。スージ・ギルテ、針のポーズだ。一瞬の残心の後、子供達は立ち上がり、プータラに礼拝した。道場内で行われる稽古のすべてが、神々と対峙する瞑想であり、祈りなのだ。
プータラへの礼拝
一般に18本の型があると言われるこのメイパヤット。実はその構成は身体の柔軟性や瞬発力を開発するために周到に準備されている。それぞれのポーズや動きが次のポーズや動きのための準備運動になり、段階的に難易度を高め、それは最終的に180度の開脚や腰位置の高い360度のブリッジ旋回、3メートルのハイジャンプ・キックなど、優れた柔軟性に基づいた高度な身体操作を可能にしていく。そして、一見バレーのように見えるジムナスティックな動きのすべてが、実は潜在的には攻防の技を秘めているとも言う。
子供達の身体が温まるのに合わせるように、グルッカルの掛け声はその速さを増していく。子供達の吐く息が荒い。と、怒声が飛ぶ。『口を開くな!呼吸は鼻だ!』情け容赦のないグルッカルの叱責が、時に小枝の鞭を伴って子供達を追い込んでいく。彼らの表情に苦痛と必死の色が浮かぶ。けれど逆に身体の切れやジャンプの高さは、ヴァイターリに勇気付けられるようにいや増していく。
最初はしなやかなストレッチ系に見えたメイターリが、この頃にはエアロビ系としての真価を表し始める。と同時に、激しい上下動の動きと極端に低い重心は、下半身にとっては極めてタフなパワー系のトレーニングにもなっているだろう。
そこにあるのはホリスティックな運動科学だった。細分化して個別に働きかけるという西洋科学的なアプローチではなく、常に全体が連関している中で、全てが欠けることなく鍛え上げられていく。
『メイパヤットの中にカラリパヤットのすべてがある』
その姿は、躍動する野生動物のしなやかなうねりそのものだった。
ケララ州は水と緑に恵まれて野生動物も数多く生息している。先人達はそんな動物達の天性の身体能力に驚嘆し畏敬し、何とかそれを我が物にせんと願った。そうして、カラリパヤットにはおよそ8~10の動物のポーズがあると言われる。けれども本当に重要なのは実は静止したポーズではなく、ムーブメントにある。
野生動物は個別な筋トレなどしなくても十二分に強く、そして美しい。そのしなやかでダイナミックな『天性』を獲得しようというのが、カラリの思想なのだろう。かつて日本のCMを賑わせた『鳥人』的な3mのハイジャンプ・キックは、その思想を見事に体現していると言っていい。
一般に一回1時間前後の稽古では、準備運動として基本のキックを十数分行い、その後に18本あるうちの2~3本のメイパヤットが稽古される。上級者の場合はその後武器技へと進むのだが、初心者は体錬によってまず身体を十二分に錬らなければならない。
私自身も、入門から5日間はひたすら基本の蹴りだけを1時間やらされ続けた。3日目には特に太ももの裏側の激しい筋肉痛によって、トイレでしゃがむ事もできないくらいの惨状を経験している。その後、メイパヤットの型シリーズに行く頃には痛みは大分治まったが、今度は運動量の多さに根を上げる事になった。先輩の稽古を見る分には美しいが、いざ自分がやるとなると、それは正直、苦行以外の何物でもなかった。
一般にカラリパヤットの修行システムは、7~8歳の頃に入門する事を前提にデザインされている。この時点でとうに中年の坂を越えていた私にとっては、いきなりのキック攻めは少々無理があった事は否めない。けれど、何とか耐え忍んで10日目が過ぎた頃には身体も慣れ、メイパヤットで動いているさなかに、ある種の充実感や「軽み」さえ感じられるようになっていた。だがそれも傍から見ればかろうじて動きの流れを覚えたに過ぎない、なんとも見苦しいものだったに違いない。そう卑下せずにはいられないほど、少年たちの熟練の身のこなしは美しかった。
何はともあれ、十二分に身体が練られると、いよいよ武器技の登場となる。
最初はコルターリといわれる木製武器技のうちの棒術。それぞれの身長ほどの長さがある、ケトゥカーリと呼ばれるしなりのある棒を使って回転技が始まる。ワディ・ヴィーシャルだ。一般には、メイパヤットに習熟し身体が出来上がるまで武器技は許されないのが普通だが、あの日以来ひそかに回転技に恋焦がれていた私は、短期修行という事もあり、グルッカルを拝み倒して入門10日目にして特別に許されたのだった。
ヴィジャヤン・グルッカルの指導を受ける筆者
このワディ・ヴィーシャル、グルッカルの模範演武を目の前で見ると、棒の真ん中を片手で握って、スナップを利かせた手首の回転と身体の切り替えしだけで棒を回している事がわかった。右へ左へ上へ下へ前に後ろに、途中で左右の手を持ち替えながら、およそ考えうるあらゆる方向に棒を導き、その回転を加速させていく。
その動きは、分かりやすく言えばフィンガー・トリックを使わない長いバトンといった感じだが、バトンと違うのは、棒の回転面が常に地面に対して垂直に立って回っているという事だった。だからこそ、私が初めてテレビでこの技を見たとき、滑らかに回転し続ける車輪のように見えたのだろう。
聞けば、最近では主に祭りやイベントの出し物、つまりショーとして演舞されることも多いこのワディ・ヴィーシャル。棒の両端に火を燃やしてのファイヤー・ショーでも有名で、一見単なる見世物で武術的な意味は低いと思われがちだ。しかし、いざ自分がやってみると、その技巧的な難しさ、そして遠心力を伴った運動負荷の大きさ、その中でのバランス感覚の難しさ、さらに動員される筋肉群の連動性、ステップと合わせた切り返しの妙、さらに脳と身体の絶妙の協調性など、あらゆる武器技をこなす為に最適なエクササイズだと理解できた。
以前合気道をやっていた私にとって、そのステップや手首の流れは入り身転換からの投げや関節技の動きと重なる部分も多く興味深い。回転する一本の棒を仮想敵に見立てた、シミュレーションとも思えるからだ。
実はこのワディ・ヴィーシャル、カラリパヤットだけではなくインド全土で、それぞれ異なった名前で実践されている事を後で知った。いわばインド武術の共通言語と言ってもいい。長い植民地時代の徹底した弾圧や、近代化による伝統武術の衰退を乗り越えて、今なおこの技がインド全土で実践されている事実がある。
『メイパヤットによって下半身を練り、ワディ・ヴィーシャルによって上半身を練る』
グルッカルのこの言葉が、回転技が持つエクササイズとしての普遍的な有効性を物語っている気がした。
だが不思議な事に、誰に聞いてもこの技がダルマ・チャクラを象徴しているという証言は得られず、私は途方に暮れる事となった。こんなにも明白に車輪の回転そのものに見えるのに、何故それが認知されていないのだろうか?その後も実に2年以上に渡って、私はこの問題に悩み続けなければならなかった。
カラリパヤットの修行は長く、そして深い。通常は7歳前後で入門し、最低でも1年ほどのメイパヤット修行を経て棒や短棒、ガダーなど木製武器技に出世し、数年かけてそれをマスターすると、刀や槍、そしてウルミーなど難易度の高い金属製武器技へと進んでいく。武器技の段階ではパートナーと組んだ攻防の型が重視され、非常に実戦的な稽古が繰り広げられる。そして最後に、すべての武器を失ってもなお戦う事のできる真の勇者の技、ヴェルム・カイ(素手の格闘術)によって完成されるのだという。
そこでは、マルマンという急所の攻防を焦点に打撃技、投げ技、関節技などが駆使され、日本の柔術との類似性もきわめて高い。実はこのヴェルム・カイの完成のためにこそ、すべての稽古は存在するのだと、弟子は教えられる。そして、この最も高いレベルに到達するためには、ゆうに10年はかかるとグルッカルは言う。それは入門した少年が成長し、若武者へと成人するプロセスと一致する。
だが、カラリパヤットの世界はそこで終わらない。人を攻撃するための急所が人を治療するための『救所』へと転化し、戦いの技術の向こうに、まったく相反するような癒しの療術が展開していく。それは日本の柔道整復師とよく似ている。だがスポーツ化した日本の武道の中で療術家を兼ねる武道家がマイノリティであるのに対して、カラリパヤットの場合は、武術家=療術家の等式が現代でもほぼ100%成立する。
カラリ・マッサージ
マルマンと薬草の知識は交易路を通じてアジアの全域に大きな影響を与えた。タイ・マッサージの『セン』の観念、そして中国や日本のツボ療術は、南インドのマルマンに由来するとも言う。文化の総体としてのカラリパヤットは、私たちとも決して無縁ではない全アジアの文化遺産なのだ。
カラリ道場というエキゾチックな文化装置の中で展開する稽古に深く魅了される一方で、自ら実践すると言う意味で私の心をがっしりとつかんだのは、やはり棒術の回転技だった。その流れるような身体操作や回転する車輪の美しい姿は、理屈ではなく私の魂を虜にしていた。その技のバリエーションを全てマスターしたい。その歴史や起源を明らかにしたい。何故、ただひたすらに回し続ける技が生まれたのか。そして、本当にこれは転法輪の棒術なのだろうか。私の中で好奇心はふくらむばかりだった。
そんな折に、道場の先輩が耳寄りな情報を教えてくれた。
お隣のタミルナードゥ州のマドゥライにはシランバムという古い棒術の伝統があり、彼らの回転技はカラリのそれを遥かに上回っているかもしれないと。それはひょっとしたら、達磨が学んだ棒術そのものかもしれない。その後いくつかのカラリ道場を見学し、およそ2ヶ月に及んだケララ滞在を終えた私は、期待に胸を膨らませて、新たな目的地タミルナードゥ州へと向かったのだ。
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